私の練習・大会の結果報告

第5戦パワーブリーズカップでダブルヘッダー

やや遅くなってしまいましたが、3月下旬のレースの振り返りです。

まず3月27日に、舎人公園競技場で開催された第5戦パワーブリーズカップに出場。1500m/5000mを2時間の間隔で走るという難易度の高いレースでした。

4-5月をターゲットレースに置いていたこともあり、トラックレースを全力で走ることで、感覚を掴めればという意識で走りました。(私の場合、トラックレースで1レベル上の刺激が入ることで、状態が改善していくというのが多いです。)

結果は1500m 4分35秒(社会人PB)、5000m 17分22秒というもので、非常になんとも言えない微妙なものでした。5000mの時間帯は風も強かったため、結果自体を深刻にとらえるというよりも、トレーニングとしてスピード練習のあとにLTのペース走を走ったということにしています。(負け惜しみ、、、というか言い訳)

レース後(実際は2日後でしたが)に嬉しい連絡が。この大会では1500m/5000mの2種目合計での表彰があり、なんと3位に入ることができました。主催者よりシューズケースとサプリメントが送られてきましたが、表彰されたり景品をもらったりするのは何歳になっても嬉しいです。

田母神一善選手や飯島陸斗選手などの有名現役選手、平塚潤コーチなどがペーサーを務められており、森川千明さんがMCをされるなど非常に華やかな大会でしたね。

 

 

パワーブリーズカップ結果

  • 1500m 4分35秒(73.2-74.2-73.1-54.6)
  • 5000m 17分22秒(3’23-29-27-24-36)

 

保守的な自分が強く現れた1500m

13:00スタートの1500mは、ラストスパートをせずに一定のリズムを意識して走りました。

スタート前は「4分30秒のペーサーをマークしつつ、うまくいけば4分30秒で」と考えていました。しかしスタート後、ペーサーが1周目を72秒台、私は73秒台の通過でしたので、5000mに疲れを残さないよう目標を下方修正しました。

2周目もほぼイーブンペースで走り、1000mの通過は3分4-5秒。ラスト1周のポイントで、2秒前を走っていたYoutuberの「おたすの足底筋膜炎日記」さんが、「付いてこい!」と言わんばかりに手招きをしてくれたので、ここで若干ペースアップ。それでも、チキンな私は5000mが頭をよぎりスパートをしきれません。ラスト1周も72秒前後でのゴールでした。(いつも一緒に練習をしているおたすさんはややペースを上げて4分30秒でまとめられており、レベルの違いを感じました)

 

色々と誤算な5000m

5000mのスタート前には1500mの疲労は回復しているように思えました。3分20秒ペースで押していきたいと考えていましたが、1周目の感覚的に難しそうだったため、ターゲットを17分00秒に下方修正し、17分00秒のペーサーにつきました。

しかし、この日は難しいレースでしたね。まず、1500mの後、徐々に風が強まりました。舎人公園はホームストレート側が強い向かい風となりやすいです。加えて17分00秒のペーサーが疲労からか下がり気味(相当の数をこなしているので仕方ないと思います)でした。

1000mを3分23秒で通過すると、強風で集団が牽制するような動きとなってしまい、1000-2000mは3分29秒まで落ちてしまいました。どうせ練習なので、本当は2000mぐらいからグループの先頭で引っ張りに行っておくべきでした。2000m-3000mも3分27秒と上がりません。このあたり心肺的には余裕があったのですが、同時に普段の5000mよりも1-2周早く脚が重くなるのも感じていました。

ペーサーの方は途中足を攣ってしまった影響もあり、3400m地点からペーサーが交代となりました。ペースが一気にあがり、3000m-4000mを3分24秒でカバーします。脚が重くなり始めたところで大きなペースアップがあった影響で、4000m以降粘りきれません。そこからペーサーに付けたのは、1500mを一緒に走ったYoutuberのおたすさんのみ。私は4000-5000mに3分36秒を要した結果、17分22秒でのゴールでした。

 

レースの教訓

1本目のレースの疲労が2時間で回復することはなかなか難しいのだと思います。短距離などで予選や準決勝までは、上位選手が流して走っているのを目にしますが、いかに決勝までに力を温存できるかというのも重要なポイントであるということですね。

5000mは2本目であったことに加え、ペースが安定しなかったことで必要以上に体力を失ってしまった感があります。ペースが自分の望むものと明らかにかけ離れている時は勇気を持って引っ張りにいくのも選択肢であるという学びを得た5000mでした。

  • この記事を書いた人

KOTA

戦略コンサル業の引退を機に2020年(34歳)より本格トレーニングを再開。 マラソン3時間12分39秒、5000m17分53秒だった私が、30代後半でマラソン2時間30分切り、5000m14分台、1500m3分台の全ての達成を目指す挑戦を記していきます。

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